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理学療法・作業療法介入の中でエビデンスが無い介入は実施すべきでない?
理学療法士・作業療法士の中でもエビデンスに基づいた介入が求められるようになってきております.
ただ残念ながらリハビリテーション分野というのはまだまだ介入研究自体も少ないですし,介入研究を統合したメタアナリシス研究も少ないのが実際です.
エビデンスに基づいた介入が重要なのは周知の通りですが,有効性が示されたエビデンスがほとんどないのも実際です.
でも理学療法・作業療法介入の中でエビデンスが無い介入って本当に実施すべきでないのでしょうか?
今回は理学療法・作業療法介入の中でエビデンスが無い介入は実施すべきでないのかどうかについて考えてみたいと思います.
エビデンスが無い
エビデンスが無いというのはそもそも何を意味するのでしょうか?
結局のところエビデンスが無いというのは「エビデンスがあると言えるほどの検証が十分になされていない」ことを指す場合が多いと思います.
非裂性試験等を用いて対照群と比較して臨床的に意味のある差が無いと結論付けられたものについては,おそらくエビデンスが無いという言葉ではなく,効果が無いといった言葉で表現されることが多いと思います.
したがってエビデンスが無いというのは,エビデンスがあると言えるほどの検証が十分になされていないことを表現する言葉であって効果がないことを示す言葉ではない場合が多いです.
エビデンスが無くても…
エビデンスが無いくても理学療法士・作業療法士の臨床経験の中で,効果的と思われる介入ってけっこうあると思います.
もちろんこの「効果的」という言葉が主観であっては問題なわけですが,エビデンスは無いけども客観的な評価を行っても効果があるといった介入ってけっこうあると思います.
理学療法士・作業療法士の経験上,効果があると感じられる介入についてもエビデンスが無ければ実施すべきではないのでしょうか?
実はエビデンスが無いと非難をする理学療法士・作業療法士がエビデンスという言葉に対する誤った理解をされている場合が多いのですが,理学療法士・作業療法士の臨床経験上,効果的と思われる介入であればエビデンスが無くとも実施すべきだと私は考えます.
エビデンスというのはEBMの全てではなく一部にすぎないんですよね.
EBMとかEBPTとかEBOTというのはエビデンスももちろんですが,クライアントの意思決定,倫理観,理学療法士・作業療法士の臨床経験等によって決まるいものですから,エビデンスが無い=実施すべきでないといった公式は成立しないわけです.
特に効果が無い,つまり差が無いことの証明というのは医科学ではかなりハードルが高いわけですので,エビデンスが無い=実施すべきでないという公式が成立してしまうとわれわれ理学療法士・作業療法士のできることってほとんど無くなっちゃいます.
重要なのはクライアントと現在のところのエビデンスや理学療法士・作業療法士自身の臨床経験を共有したうえで,クライアントに意思決定してもらうということだと思います.
理学療法士・作業療法士の場合には,介入方法がここに委ねられることが多く,クライアントの意思が考慮されていない場合が多いのが問題ですよね.
エビデンスを構築する努力も必要
ここまで述べてきたようにエビデンスが無い=効果がない=実施すべきでないといった公式は成立しないと思いますガ,ただ一方でエビデンスは無いけど経験的に効果ありそうなのでやりますっていうのも医療としては問題ですよね.
少なくとも税金を使って提供するサービスでは無いですよね.
こう考えるとわれわれ理学療法士・作業療法士は経験的に有効だと感じている介入の効果をきちんと検証する作業というのが非常に重要になるわけですね.
要は介入視点での臨床研究がもっと増えていかなければ,エビデンスが無い介入を経験で感じる有効性だけで延々と続ける,経験や勘だけで税金を使う職種と他職種に見られても仕方ないところがありますよね.
理学療法士・作業療法士もエビデンスを構築する努力が必要だということですね.
今回は理学療法・作業療法介入の中でエビデンスが無い介入は実施すべきでないのかどうかについて考えてみました.
介入研究というのは臨床で勤務する理学療法士・作業療法士にとってかなりハードルが高いことは間違いありません.
ただ介入研究が増えないと,エビデンスが無いけど経験的に有効なので実施しているといった流れから脱却することは難しいでしょうね.
理学療法士・作業療法士もエビデンスを構築する努力が必要だということですね.